RIDERS IN THE SKY

Mountain, Journey and Family

奥久慈男体山 April 1994

入部、そして新歓

 大学に入学するまで、私は何年か浪人していました。浪人も当時は珍しくはなかったのですが、それでも浪人してから大学に入ると、自分より年下の人が先輩という居心地の悪い状況も多くありました。

 あまり年齢にこだわってむきになる必要もないので、入学後は自分の年齢にはあまりこだわらず、普通に生活することにしました。

 大学入学後は登山をやろうというのは、なんとなく決めていました。浪人中に図書館で勉強しているとき、息抜きにと思って手に取った雑誌「山と渓谷」がきっかけでした。八方ふさがりの今の状況から少しでも早く抜け出したくて、確か新潟県雨飾山の記事だったと思うのですが、自然の中を歩いて山頂を目指し、下山後に温泉に入って疲れをいやすという記事にとても心惹かれました。

 しかし、登山というものをまったく知らない私は、山に登るためには果たして何をそろえたらいいのか、何が危険で何に気を付けたらよいのか全くわかりません。独学でなんとかなるものではないと思い、山岳部のようなものがあったらそこに入っていろいろ教えてもらおう、とそれを励みに勉強を続けていました。

 

 私が入学した大学には山岳部はありませんでした。以前には存在したらしいのですが過去に多重遭難事故をおこしてしまい、それをきっかけに廃部になってしまったとのことでした。しかし、それとは別にワンダーフォーゲル部(略してワンゲル部)というものがあり、その団体が登山らしいことをやっているというので入学してすぐに部室をたずねてみました。

 聞きなれない言葉でしたが、調べたところドイツ語で”Wandervogel"。「渡り鳥」の意。ドイツにおける青少年の野外活動を行う集団活動が起源とのこと。ボーイスカウトみたいなものか?山で焚火を囲みながら歌でも歌うのかな?そもそも「ワンダー」って何だ?

 頭の中は「?」でいっぱいでしたが、あまり深く考えず、山に登る団体を求めてその小さな部室に入っていきました。

 屈強な、体の大きなひげ面の男たちがたくさんいることを想像していたのですが、部屋の中のテーブルの前には眼鏡をかけた真面目そうな男性が一人でポツンと座って暇そうにノートに何かを書いているだけでした。のちに部長となる2年生のYさんでした。

「あ、新入生?入部希望?」

 私に気が付いたYさんは少し間延びするような話し方で、私に丁寧にワンゲル部の活動の説明をしてくれました。私がこれまで登山の経験がまったくないこと、登山に興味をもった経緯を話すとなおさら歓迎してくれているようで安心しました。どうやら私が、その年度で始めて入部の意志をもって部室を訪ねた最初の新入生だったらことも大きかったらしいです。

 話をしているうちに別の部員が二人部室に入ってきました。とても登山をやっているようには見えない小柄な女性たちでしたが、どちらも高校時代から登山部で山に登り続けているかなりのベテランとのことでした。

 登山経験のない私でしたが、大学受験が終わってから入学式までの間に、寝袋だけをもって野宿しながら自転車で房総半島を一周した話をすると「これは有望!」と喜んでくれ、四人で話が弾みました。当然の流れのようにその場で私は入部を決め、お礼を言って部室を後にしました。これから始まる大学生活、そしてワンゲル生活にワクワクと期待が高まる帰り道でした。

 

 その後、私と同期で入部した部員は6名。途中で出たり入ったりした仲間も含めるとかなりの人数になりますが、先輩たちや後に登場する後輩たちと共に私のワンゲル生活が始まりました。

 

 数週間後、大学生活も軌道にのってきたある日。ワンゲル部の新入生歓迎会があると伝えられました。場所は茨城県大子町にある上小川キャンプ場。ワンゲル部の年間活動の中ではOB・OGも招待して行うかなり大きな行事とのことでした。新入生の紹介は当然OB・OGや先輩たちのネタとして扱われ、かなり激しい飲み会になるとのことでした。それまで酒をほとんど飲んだことのない私にとってはかなりの恐怖でしたが、ワンゲルらしくその翌日にはみんなで近くの山に登るとのことで、ちょっと楽しみでもありました。

 

 キャンプ場の集会所を会場として新入生歓迎会(新歓)が始まりました。大声での自己紹介(スタンツ)後は手に持ったコップのビールを飲み干します。失敗するとビールを注がれまた最初から。人によっては延々と飲まされるという恐怖の儀式でした。

(昔の話です。急性アルコール中毒の危険性やお酒が飲めない体質の人もいますので真似はしないでください。)

 そして、そのあとなぜか一発芸をやるというのが習わしでした。私がその時何をやったのかは覚えていませんが、場をしらけさせるとまたビールを飲み干さなければならず、早くもそこで撃沈させられた新入生や先輩たちが続出しました。

 私はそれまで酒を飲んだことがなく、記憶がなくなるまで酔うとはどういうものか想像もつきませんでしたが、同級生や先輩たちが次々と酔って寝てしまうか訳がわからない状態になるのを見ながら、OBたちと一緒に酔った学生の介抱や汚した場所の掃除などをしていました。どうやら酒には強い体質だったようです。

 酔ってぶつぶつ何か言いながら徘徊する先輩や酔いつぶれて瞼にマジックで目玉を描かれて寝てしまっている同級生たちと共に、狂乱の夜は更けていきました。

 

初登山。男体山

 朝になり、周囲が明るくなると昨夜の飲み会の激しさを間の当たりにできました。バンガローの中で酷い姿で毛布にくるまってピクリとも動かない仲間たち。屋外のイスに座って頭を抱え、うなだれながら必死に二日酔いの気持ち悪さと戦っている先輩たち。私もさすがに翌朝になると頭が痛くてすぐには動けませんでした。爽やかさとは無縁のその光景でしたが、比較的しっかりしている女子部員を中心に、ご飯を炊き、味噌汁を作り、何とかその日の登山の出発に向けて動き出そうとしていました。

「じゃ、がんばってね!」

爽やかに帰宅していくOB・OGたち。しかし、何人かの先輩たちは二日酔いが酷くてとても歩ける状態ではなく、キャンプ場で待機することになりました。

 

 男体山への登山口は水郡線西金駅方面からの大円地の登山口からの登山道がメインですが、今回は上小川キャンプ場が起点だったので長福寺付近より入り、のどかな山里を歩きながら長福山経由でゆっくりと登るルートでした。

 歩き始めはほぼ全員がまだ二日酔いでで気分が悪く、無言の行進でしたが、歩き続けるうちに次第に元気を取り戻し、にぎやかになってきました。この辺りはさすがの若さだったと思います。

 長福山を過ぎると何度か林道を横切りましたが、そのうち傾斜も急な本格的な登山道になってきました。初めての登山でさすがに体力的なきつさも感じましたが、みんなでワイワイ進んでいるうちに尾根に出ることができ、そのあとすぐに山頂。曇り空ではありましたが、断崖絶壁からの下界の眺望を楽しむことができました。

 

 お昼は山頂より少し降りたところにある大きなあずまやで食べることにしました。みんなで手分けしてもってきた食パンや魚肉ソーセージ、チーズなどを使って女子部員が手際よくサンドイッチを作り、男子部員はこれまた苦労して持ってきたポリタンクの水を使ってバーナーでお湯を沸かし、インスタントのスープを準備。あっという間に昼食にありつけました。山の中でこんなに贅沢な食事ができるなんてと、その手際の良さと共に初めての体験に驚きながらの食事でした。

 さて、二日酔いも忘れておいしい食事でおなかもいっぱいになったことだし、あとはキャンプ場に帰るだけ、と思ったら3年生の部長から驚きの一言。

 「これから希望者だけで袋田の滝まで歩こうと思う。志願する者はいるか?」

 男体山から袋田の滝までは5km以上あります。まだ体力に余裕があるとはいえ、結構疲れてはいるので早く帰りたかったのですが、新入生としては断る訳にはいきませんでした。

 結局、新入生の男子3名と先輩数名で走るようにして男体山袋田の滝の山道を踏破し、市営駐車場に迎えに来てくれた先輩の車でキャンプ場に戻りました。

 スタートから、(飲み会も含めて)かなりハードな行程でしたが、これが私の山との関わりの始まりでした。

奥久慈男体山 2020

 2020年 8月9日,小学校6年生の長男と奥久慈男体山に登りました。

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男体山山頂で厚切りのベーコンを焼く

 標高654m,茨城県北部の大子町にあるこの山は,標高はさほど高くはありませんが岩場や鎖場があり,山頂の展望もよく,車でアクセスした場合,山頂まで数時間で登れるため筑波山に次いで茨城県を代表する人気の山です。

 途中、行動中はずっと曇天で、巨大なガマガエルやマムシにも遭遇しましたが、山頂ではパスタをつくり、分厚いベーコンも焼いて一緒に食べて大満足でした。

 この男体山、父親である私にとっては何度も登った思い出の山です。その山に自分の子供とともに登ってこうしておいしいものを食べながら下界を見下ろしているのは、今でもなんか不思議な気分です。

 

 3年前、小学3年生だった長男が突然「富士山に登りたい」と言い出しました。「まだ早い、無理だ」との周囲の意見もありましたが、本人の真剣さを感じて私も本気になり、道具をそろえて茨城県内の低山でトレーニングを重ね、その年の夏に見事登頂を果たしました。

 

 小学生を連れての日本一の標高の山への挑戦。その準備としての茨城県内の低山でのトレーニング。私にとって思わね形での「登山」の再開でした。

 

 学生時代、私は地元の大学のワンダーフォーゲル部に所属し、頻繁に山に登っていました。生活のほとんど全てを山に注ぎながらも、卒業、就職、結婚、育児等の現実の中で、封印したつもりはなくてもあんなに好きだった山から段々と遠ざかり、忘れかけていました。

 

 長男と二人での富士山登頂を果たした後、仕事の合間を縫って、休日に少しずつ親子で山に登り始めました。子供とともにあちこちのピークを踏むたびに、学生時代にかつてそこにいた自分や仲間との思い出がよみがえり、懐かしさに浸る機会が多くなりました。

 

 当時の記録や写真は大切にとってありますが、見返すことはほとんどありません。しかしその大切な思い出を今の私の視点から形としてまとめることを通して、自分の中で本当に大切なものを整理し、かつ他の皆様にも読んでいただき共感してもらえたらと思いブログを始めることにしました。

 

 拙い内容ですが、お時間があればご覧いただければと思います。